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どうやったら転職できるか!?
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人生の重大な転機の1つ「転職」。
毎週月曜日は、人材紹介会社でエンジニアの「転職」と向き合っている
キャリアコンサルタントの“つぶやき”を紹介していきます。
さてさて、本日の“つぶやき”は……

*****

「優秀な人にたくさん会って、少しでも役に立って感謝されたい。」
そんな単純で、そしてとても難しいことにチャレンジしたくて
この業界に飛び込んだのが5年前。

アドバイザーとして、カウンセラーとして、コンサルタントとして。
立場を変えながら、お会いする技術者の価値観を徹底的に理解して、
その人が判断するのに必要な「考え方」と「情報」と「機会」を準備
して、最後まで一緒に納得できる「こたえ」を探す。
いまでは短期的な活動支援ではなく、5年周期の長期的なキャリアプラン
の提案もできるようになってきました。

じっくり話を聞くスタンスは変わってませんし、サービス精神は旺盛です。
そういう意味では、どんな方と話をしても、つまらないコンサルタント
ではないと自負しております。えへん。

そして最近。
自分の中に、「プライド」ができてきた気がします。
このプライドとは、コンサルタントとしての自信と責任。
転職希望者にとって良いことも良くないことも責任を持って言えること、
そのための自信が身に付いたことです。
そういう意味ではプライドは誇りとも言えます。

自分の仕事にプライドを持っている人は、とてもカッコいいですよね。

「仕事どうです?」と聞かれて、無理して「楽しい」と答えるよりも、
「大変だけど面白い」と笑顔で言えるカッコいい人を目指したい。
目指して努力したその結果がキャリアになるのだと信じたい。

みなさんは、プライドを持って仕事してますか?
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■仕事の「縦」と「横」

キャリア雑談をする中でよく聞くのが、仕事と年齢のアンマッチに対する不安です。自分の年齢であればもっと高いスキルが要求されるのではないか、あるいは同じ仕事で転職するには、自分は年齢が高すぎるのではないか。特に転職を意識されている方からそういうご相談を受けます。
個々のご相談はさておき、仕事の幅をどう広げていくかというテーマは、専門性の高い仕事をしているエンジニアの皆さんには興味のあるところではないでしょうか。
田坂広志さんの『プロフェッショナル進化論 「個人シンクタンク」の時代が始まる』という本(PHP研究所)には、仕事の幅(プロフェッショナル・フィールド)を広げる方法として印象的な言葉がありました。
「自分の仕事を『縦』でなく、『横』にしてみる。」
ここで「縦」というのは仕事のテーマであり、「横」というのは仕事の方法です。ネットワークエンジニアであればネットワーク技術が「縦」、仕事をこなす自分なりの方法論(調査・分析のアプローチや問題解決のやり方など)が「横」に当たります。

■「縦」と「横」、どちらが重要?

わたしの限られた経験からではありますが、エンジニアを含むスペシャリストの方は往々にして自分の「横」のスキルを過小評価している方が少なくないと感じます。以前の会話を思い出してみると、こんな発言がありました。

  「重要なのは『成果』ですよね。それをどうやって出すかはプロならば個人個人で考えるべきことでしょう」
  「『コミュニケーション力を生かす』といっても、資格があるわけじゃないしなあ(笑)」

あくまでも「縦」が主であり、「横」は従であるかのようにとらえられています。確かに「横」だけでは仕事にならないし、「横」のスキルは資格の対象になるようなものではないと思います。しかし仕事の幅を広げる、つまり仕事のテーマ(「縦」)の方を変える際には、仕事の「横」、つまり自分なりの仕事の方法をどれだけ生かせるかが非常に重要になってきます。
自分の「横」の強みを理解していなければ、新しい「縦」に挑戦する勇気がわかなくなってしまいます。専門家の方が往々にして自分のフィールドから出たがらないのは、「縦」が強すぎるがゆえに自分の「横」スキルがどこまで通用するかを考えたことがなく、不安を感じるという側面があるのではないでしょうか。
自分の仕事のテーマ(「縦」)がどのような方法(「横」)によって支えられているのか。実はこれ、なかなか気が付くチャンスがありません。仕事の方法は、「縦」の仕事をこなすうえで必要なスキルとして学校や職場で少しずつ教わってきたことですし、ほかの職種と比較する機会もなかなかありませんから。

■他流試合で仕事の「横」を発見する

わたしは現在ビジネススクールの講師も務めていますので、さまざまな業界・職種・職位の方にお目に掛かる機会があります。そのような場で参加者の方が一様に驚かれるのは、いかに自分が、帰属する「世界」の思考パターンに染まっているかということ。個人差もありますが、長年携わってきた仕事の違いが顕著に出てきます。自分のものの見方・考え方が偏っていたことに気付く機会でもありますが、実は自分の培ってきたものの強さに気付ける機会でもあります。
エンジニアの参加者は、数は多くないものの、おしなべてある特徴を持っています。それは問題分析に強いこと。エンジニアであれば多くの方が(それとは知らずに)身に付けている工学的な問題解決のアプローチが、ほかの職種の人から「そこまで考えるのですか!」と驚かれる光景をしばしば見掛けます。ITとは異なるテーマ(例えば経営分析)であっても、分析的なアプローチはかなり使えるのです。
以前、このコラム欄で「強みとは相対的なもの」と書きました(「強みの上に自らを築け」)。上記のような「他流試合」によって、自分のいまの環境では分からない「強み」に気が付けたとしたら、これは貴重な発見ですね。
では、そのような発見の機会をどこに求めたらよいか。ビジネススクールでも、非営利組織の運営や手伝いでも、何でも構わないと思います。要するに自分の「縦」が通用しないような世界で時間を過ごしてみること。そうすれば、おのずと自分の持っている仕事の方法(「横」)が分かってくるのではないでしょうか。


このコラムでは、日頃お客様の転職活動にフォーカスしているが、実は我々:転職エージェントにも転職経験者は多い。
同業他社でアドバイザーをしていた者、人事・採用業務経験者、それにエンジニアなどの専門職から転向してきた者もいる。元Jリーガーもいれば、警察官もいる。そして、時に「自分が辞めた会社に人を紹介する」という経験をすることになるのだ。

エンジニアKさん(31歳)の転職相談を受けて、我々は自信を持ってメーカーA社を紹介した。
二時間半の面談で、求職者からの希望をじっくり聞いても、求人紹介は手探りになりがちだ。そんな中でKさんに対して、「オススメの会社」にA社を挙げることが出来たのは、Kさんを担当したアドバイザーがA社の元社員だったからであった。

「実は、私は以前、A社で働いていたんですよ」
アドバイザーがそう明かすと、Kさんはまず驚き、そしてすぐに少し眉をひそめた。おそらく『どうして自分がイヤで辞めた会社を、自分に勧めるのだろう』と考えたのだろう。
「A社は私には合いませんでした。エンジニアとして私の専門領域が中途半端だったため、A社のなかで自分の将来像が描けなかったのです」
アドバイザーは自分がA社を辞めた経緯を説明した。
「しかし、エンジニアとして軸足がしっかりしている人には、A社は素晴らしい環境を与えてくれる企業です。会社の風土も、かつての堅いだけのイメージとは違うところが出てきていますよ」
2年前まで在籍していた会社で、かつての同僚とも付き合いは続いている。アドバイザーはA社での働き方や風土を、具体例を交えて詳しく伝えた。

会社を辞めた人間は、現職よりも中立の立場。ある面ではその会社をより的確に見ることができる。Kさんはアドバイザーの話に納得してうなずき、「かつて働いたことがある人の勧めというのは、一番安心できますね」と、応募に意欲をみせてくれたのだった。

アドバイザーの見立て通り、KさんはA社の選考をクリアしていった。KさんもA社の考え方に共感し、転職が決まるのは時間の問題のように見えた。
ところが、セレモニーとして行われる役員面接の直前、Kさんは転職を取りやめてしまう。Kさんは現在のプロジェクトがこうなった、家族との話し合いがうまくいっていない、など色々な理由を述べたが、結局のところ、彼自身のなかで迷いが残っていたように我々には思えた。
A社の採用担当者は、Kさんの辞退に不快感を隠さなかった。
「緊急の事情があるならともかく、彼の言う理由はずっと以前から分かっていたことでしょう? どうしてもっと前に言ってくれなかったのか…」
役員面接の前日キャンセルで、人事も上層部から叱責を受けていたのだ。

この一件の二か月後、Kさんは再び我々のところにやってきた。そしてもう一度、A社を受けさせて欲しいと言うのだ。

「前回は、本当の意味で転職をする準備が出来ていませんでした。今回は仕事もきっちり区切りをつけてきましたし、家族にも十分納得して貰っています」

Kさんの訴えに、我々は応えた。渋るA社の人事を、昔のよしみでなんとか説得し、特例としてKさんをもう一度選考の俎上に載せてもらった。そして、今度は役員面接をこなし、正式な内定書類をもらうところまでこぎ着けた。
だが、しかし…。Kさんは現職の企業で引き留めを受けたようで(Kさんからの連絡が途絶えてしまったので推測するしかない)、再び辞退をしてしまった。
我々は、A社人事から呼び出しをくらうことになった。担当アドバイザーは針のムシロである。
A社の人事は担当アドバイザーに一言。
「こちらも大分無理をしたのに…。二度もつらく当たらないで下さいよ」
担当アドバイザーの転職は形式的には円満退社であるが、辞める時には相応の慰留も受け、A社に迷惑をまったくかけなかったわけではない。人事はそのことをよく覚えていた。
「いや、すみません。私も上(役員)から絞られましてね、ついイヤミを言ってしまいましたが、今後の紹介に期待していますよ」
そう言って意味ありげに笑うA社人事。我々は頭を下げるしかなかった。

現在、アドバイザーは嘆いている。
「A社はああ言いますけど、かえって紹介しづらいですよね。もう失敗できないと思うとプレッシャーが…」
無論、正道はひとつ、邪念を払って、転職者のために行動するしかないと分かってはいるのだが…。かつて働いていた会社に人を紹介するというのも、意外に大変なことなのである。


毎日、人材紹介会社のコンサルタントは転職希望者と会う。さまざまな出会い、業務の中でこそ、見えてくる転職の成功例や失敗例。時には転職を押しとどめることもあるだろう。そんな人材コンサルタントが語る、転職の失敗・成功の分かれ道。
最近、下請けの立場で仕事をされているITエンジニアから、次のような話をよく聞くのです。
「いま常駐している(あるいは派遣されている)プロジェクトでは、元請けの会社の人と一緒に仕事をしています。彼らの仕事ぶりを見る限り、協力会社の自分にだって十分マネージャは務まると思います。だから自分も下請け(あるいは派遣)を脱して、元請けで上流工程を担当したい」
確かにそのとおりのときもあるのでしょう。ただし、ときには思い違いではないかと思うこともあります。今回は、このことに関連したお話をさせていただきたいと思います。

■「俺にもできる」が実現できる例

あるソフトハウスに勤務していたあるオープン系のエンジニアは、次のように語っていました。「外資系大手ITベンダが元請けのプロジェクトで働いている。自分の会社は2次請けだが、両社は同じ場所(クライアント先)で連携して仕事をしている。元請けのプロマネ(プロジェクトマネージャ)がダメダメな人で、要件定義が甘くて手戻りばかり。結局自分が尻ぬぐいをする羽目になり、エンドユーザーと打ち合わせからやり直すなど、元請けのマネージャ同然の働きをしている」
元請けの平均的なITエンジニアの人月単価を1とすると、彼は0.6~0.8ぐらいでした。それでも自分を育ててくれた会社への恩義もあり、その会社にとどまっていました。しかし、いつしか彼の業務や待遇での不満は限界を超え、結局30代半ばでオブジェクト指向開発で有名なある元請けのシステムインテグレータ(SIer)に転職したのです。
そんな成功事例がある一方で、2次請け会社に属しながら、元請けの仕切りが悪く火を噴いた案件をプロマネとして収束させた経験のある別のITエンジニアは、日本有数のSIerに応募した際、次のようにいわれたそうです。
「プロマネといっても、火が噴いた案件の後始末をしただけでしょ?」
IT エンジニアの怒りを買いそうな発言ですね。応募先のSIerは、プロジェクト管理志向の会社として知られているため(逆にいえば現場寄りではない)、最初から最後まですべてのフェイズでのプロジェクトマネージャ経験の有無と、動かしていたプロジェクトの規模が不採用の決め手になったようです。「管理力」よりも火消しの「現場力」が売りだった彼には、その会社はそもそも向いてなかったのでしょう。
ただこの人も、最終的にはご自身の経歴を生かせる別の元請けのSIerに転職が決まりました。

■俺にもできるが、「勘違い」となる例

システム開発の上流工程に進む場合、「エンドユーザーと直接話をした経験があるか」が、転職成功のポイントになることは多いようです。この点について、「保守・サポートフェイズの経験の中で、エンドユーザーと密接にコミュニケーションを取った」と語るITエンジニアもいます。しかし、本当にそうでしょうか。
確かに保守フェイズでエンドユーザーとコミュニケーションを取った結果、改修や機能追加に至ることはあります。しかし、顧客の要望を聞いてゼロからコンサルティングを行い、要件を決めていくのが、上流工程でのエンドユーザーとのコミュニケーションの基本です。すでにシステムが運用中でドキュメントも作成されている保守案件でのコミュニケーションとは質量ともに差がある、と考えるのが多くのSIerの見方のようです。
また、開発でエンドユーザー先で常駐していた場合でも、人材派遣や協力会社の一員として現場に入っていると、自分が担当できる(かかわれる)範囲が、コーディングやテストといった下流の補助的業務に限定されることが少なくありません。
上流部分で何が行われているかは見えない(見せてもらえない)となると、元請けと一緒に現場にいても、業務知識や設計スキルを身に付けることはそう簡単ではないのです。
よく「やりたいこと」と「やれること」は違うといいますが、一見近いように見える「できそうだ」と「やれる」も、やはり違うのです。

■在来線と新幹線の競争みたいなもの

あるプロジェクトで一緒に仕事をする元請け会社の社員で、業務には詳しい(らしい)が、技術にはあまり詳しくない人がいるとします。協力会社の人間としては、(技術では)あいつには負けない、と思うこともあるかもしれません。
しかしこれは、東京・品川間をゆっくり走る東海道新幹線(以下、新幹線)に、在来線が競争を挑んでいるようなものではないかと私は思います。わずかな区間であれば競争できているように見えるだけで、本気を出せば、車体性能や線路が別格の新幹線の相手にはなりません。能力的にも環境的にも勝てっこないのではないでしょうか。
IT業界でも同じではないでしょうか。元請けの会社にいる人は、配属されるプロジェクトも恵まれ、(全員とはいいませんが)与えられる仕事によってハイスピードで成長し、職位も上がっていく面があります。その結果、転職しようとしたときに作る職務経歴書の内容も立派に仕上がります。

■電車と同じで、乗り換えのタイミングが重要

結局、上流工程に進みたい人は「在来線から新幹線への乗り換え」が必要なのです。簡単そうに聞こえますが、実際はそうではありません。しかも、乗り換えにはタイミングが重要なのです。
新幹線の駅は、原則として数十kmごとに1つしかありません。しかもそのうち多くの駅は「こだま」(新幹線の各駅停車)しか停まりません。まずは在来線で最寄りの新幹線の駅へ行き、「こだま」に乗る。そして名古屋など大きな駅で「のぞみ」に乗り換えて新大阪を目指す。こうした計画的な2段階転職を考えられてもいいと思います。いわゆる、ステップアップ転職と呼ばれる形態です。まずは2次請けのSIerを目指して転職し、その後実力が付いた段階で元請けの SIerへの転職を目指す、というものです。
ただし、重要なのは転職を考えたときの年齢です。在来線に乗り続けていると、乗り換えようとしたときには、乗り換えるべき新幹線はもうないかもしれない。そういう危機意識は常に念頭に置いていただきたいと思います。


私は複数の自動車メーカーなどを渡り歩き、もうすぐ40歳になりますが、転職活動で内定を5ついただき、おそらくは最後になるであろう転職先を決めたところです。20代30代の人たちにとって参考になればと思い、これまで働いた4社での経験や、就職・転職時における会社選びの考え方、ダメな人材紹介会社の見分け方や活用法などについて、お伝えしようと思います。

【Digest】
◇ディーゼルに照準
◇年収一律7%カット
◇次を決めずに辞めたのは失敗
◇「キミはいま、何をやっているんだね?」ズブズブ三菱ふそう
◇メールで「ドクター」抜くだけで不機嫌に
◇日産自動車へ 想定外のことが続々
◇変動ボーナス込みの年収提示に騙されるな!
◇転職35歳限界説はウソ
◇若いうちは営業・購買なら外資、設計なら日本企業
◇小規模の人材紹介会社ほどカルチャーに詳しい
◇若いキャリアアドバイザーは役に立たない

◇ディーゼルに照準
大学は私大理系で化学を専攻していました。それで単純に好きなモノを扱う仕事をしたい、ということで自動車メーカーを考えました。そのなかでも、どこが強みとなる技術を持っているかを考えて、ディーゼルエンジンだと思ったんです。
ディーゼルはガソリンと比べても熱効率がよく、揮発性が少ないから安全性も高い。車だけでなく建設機械や船など、輸送用機器全般や離島の発電システムにも使われて用途が広い。これに関われる事は、自分のキャリアとしても、活躍の幅が広がると思った。

そこでディーゼルエンジンに強い、ということを売りにしていたいすゞ自動車を選びました。たまたま親がバス関連の仕事をやっており、家にそういった本があったので知っていた。ディーゼルというポイントとなる技術を持っている会社を選んだことが、後のキャリアに役立ちました。

入社後はまず技術営業を4年ほどやり、次に設計に異動して9年。つまり計13年いました。営業と設計の両方を若い段階で経験できたのはよかった。これは自分の意志を上司との面談で伝え動けた結果です。

最近、転職の面接をしていると、技術営業と設計の経験が見られているな、と思うことが多い。図面を読めてモノのつくり方が分かり、さらに営業の経験もある。両方できるというのが、キャリアとしては強いですね。

それから最後の数年は設計の中で、購買業務も経験した。外部企業からモノを購入する際に、技術者の立場から図面を見て、価格に見合った適正なものかを判断し、交渉する仕事です。様々な取引先企業との窓口役なので、いろんな会社のモノ造りの現場を見る経験ができました。

◇年収一律7%カット
キャリアとしては悪くなかったのですが、入社13年目でも年収が600万円ほどと、収入面がネックでした。当時はちょうど経営不振のまっただなかで、約1万人いた従業員のうち、リストラで4千人が去っていった時期でした。

2001 年8月に、第1回目の早期退職優遇の募集がかかりました。このときは、退職金の割り増しによって、当時の自分で800万円ほどになるという条件でした。とりあえず応募を見送ったら、翌2002年8月にも追加募h集がかかった。2回目は条件が悪くなり、退職金が600万円くらいだと言われました。自分は応募しませんでした。

結局、こうして約4千人をリストラしても、2002年終わりから2003年にかけて株価50円割れが続き、経営危機は続きます。会社に残った人たちも、年収ベースで一律7%カットという措置が決まり、仕事の負荷が増えたことや、自分の意思に反する度重なる部署の移動に耐えかねた私は結局、2003年5月、転職先が決まらないまま、辞めることにしました。
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